気まぐれに始めた枝豆栽培の話です(第6回)。
今回は収穫編です。記念すべき最終回です。
前回(第5回)はこちらです。
つわものどもが夢の跡
前回の記事から一ヶ月(定植から約二ヶ月)。
いよいよ収穫です。枝豆の収穫は株を根本から引っこ抜きます。
引っこ抜いた跡は何となく寂しい気持ちになります。
思わず見出しに芭蕉の句を引用してしまうくらいに…
これが噂の根粒菌だ
小石のような粒がついているのが見えますでしょうか。これがマメ科の植物の根にくっついて空気中の窒素から地中に窒素(植物の成長に必須の肥料のひとつです)を生み出すという噂の根粒菌様です。
枝から実を切り離したら
見慣れた姿になりました。あとは、塩もみして、茹でて、冷ませば、おつまみの代表格になるのです。私はあまり飲酒はしませんが。
おわりのおわりに
なんとなく始めた枝豆栽培でしたが、学びの多い体験をさせていただきました。自然科学という言葉を挙げるまでもなく、現在の人間社会は自然からの学びの歴史そのものと言えるのかも知れません。そもそも人間も自然の一部ですので、何をか言わんやといった感じですが…
この地球上の生物の大半は、その寿命のほとんどを「食」を得るために活動していると言えるでしょう。人間がいくら高度に職業を発展させていったところで、その実際は「食」を得るための労働です。この度の枝豆観察日記は「食」に対するありがたさを改めて学び直す良い機会になったように思います。
普段あまり意識しませんが、「ご馳走」の由来の通り、食事の準備というのは実はとても大変なものです。そんなわけで、こうして食事が安定して摂取できるこの現在日本の社会に多大なる感謝を感じている毎日です。ご先祖のご苦労は言わずもがな、全ての人類の活動、全ての自然の活動に想いを馳せざるを得ないですね。人間万歳ですね。宇宙万歳ですね。
デザインと全く関係ない話に思えますか?
しかし実際はその中にデザインも存在しているのです。
自然現象の起こす結果を、安定して、繰り返して、意図的に引き起こすことが出来るようにするために、人間はあらゆる物を「デザイン」してきています。
普段の生活の周りに存在するものを改めてじっくり見てみて下さい。
果たして「デザイン」されていないものを発見することができるでしょうか?
COLORS代表:中山
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